あと自分の人生と絡まなくても好きな作品の話をするときに正しい情報を調べなおしたり見返したりしない場合っていうのは当時の自分の感情込みの感想を大事にしたいときなんじゃないかなみたいなあれがある
No.431, No.430, No.429, No.428, No.427, No.426, No.425[7件]
その結果自分の記憶の中の映画の話を一生する人になり、情報としては正しくない話をする羽目になるんだけど、この場合って映画の話をしたいわけじゃなく自分の掘り下げをしたいだけだからまあ間違ってはいないんだよな、映画そのものの話をしたい人と語り合うのは避けた方がいいだけで
私は過去にはならないけど当時の自分と同じにもならないから観れば観るほど自分とも作品とも離れていく感覚があるし、過去に刺さった作品が刺さらなくなるのってそれじゃないかなって思うけど、なんか難しいな表現が……
私はこれは自分のための作品だ、みたいな感覚を得ることがそもそもそんなにないけど、これは自分のための作品だと感じることが多い人で観返すことが多い人は当時の自分と変わらないぐらい何か心に引きずるものがあるんじゃないかな
それが違う映画になることを知っているから、それが違う映画になったことを受け入れられるぐらい当時の自分が過去にならないと難しいんじゃないかな
だから映画を自分の中に入れてしまったとき、それは何度も観たい映画ではなくなるって話……
例えば自分が映画の中に入る分には問題ないんだけど、映画が自分の中に入ってしまったとき、その鑑賞体験ってその時点での自分を含んだものになるんだよね。人間がどうしても永遠に全く同じ存在でいられない以上、後者は同じ鑑賞体験になることは少ない、そういう話だと思う